人の採用と育成を考える


経営と人材育成

商売を始めた頃は、ご主人と奥さんの二人ですから、従業員の育成を考える必要はありません。しかし、商売を続けているうちに商いも大きくなり、そこで従業員の採用を考えることになります。従業員を抱えることになれば、その従業員に持てる力を十分に発揮してもらい、成果を望むのは当然のことです。つまり、経営の規模を拡大しようとすれば人の力を集めるしか方法はありません。経営の継続と拡大を望むのであれば、いつの時代でも、従業員の育成如何により経営成果が左右されることは疑いの無い事実でしょう。小泉内閣の構造改革以来のグローバルスタンダード追求の中で、「会社は株主のもの」という考え方が定着しました。そこでは従業員をコストと捉え、育成するという考えが薄くなっているように見えます。しかし、このような考え方は、本当に正しいのでしょうか。疑問を感じます。

一方新聞記事は、企業の採用では「即戦力が求められる。」などと報じています。しかし筆者には、本当に新卒で即戦力たる人材がそれほど多いとは思われません。なぜなら、個々人の仕事は、経営と同様に身に着けた知識だけでこなせるものではなく、知識に加え現実を乗り越えていくという経験が仕事のコツにつながっていると思えるからです。

したがって、経営規模を拡大しながら、安定的な経営を行うためには従業員の定着と能力向上に向けた育成は欠かせないものといえます。そこで、採用と育成について、それぞれ考えてみたいと思います。

どんな人を採用すべきか

経営規模の大小に拘わらず、どのような人を採用すれば良いのか、大いに悩むところです。

一年程前、あるテレビ番組で「松下幸之助氏」を扱っていました。番組の内容は、幸之助氏の生い立ちや経営理念の確立にいたるその考え方を中心に紹介していました。そのなかの一場面で、評論家の田原総一郎氏が、若い記者のころのエピソードを話していました。そのエピソードとは、田原氏が幸之助氏に「もし松下電器の役員に、数人の候補の中から選ぶとすれば何を基準に選びますか。」と問いかけました。そして田原氏は、その基準は「会社に忠誠を尽くす人ですか。能力の高い人ですか。それとも幸之助氏の信頼する人ですか。」と聞いたと述べていました。この問いに対して幸之助氏は「どれも違うな。」と述べ、役員には「運の強い人を選ぶ。」と述べたことを驚きを交えて話していました。

1970年ごろの松下電器の採用方針は、「頭の良い人1/3、スポーツマンタイプ1/3、元気のある人(やや不正確)1/3」の三タイプを採用し、秀才のみに偏らないというものでした。更に、「能力が同じであれば、運の強い人を選ぶ。」と松下幸之助氏は、述べていました。役員の人選と同じです。

ここに、人を採用をする際のコツが隠されていると思われてなりません。採用面談で、運が強いかを判断するには、面接者の生い立ちや経歴、更には本人のエピソードなどを聞きながら運の強さを見ていくようです。

人を育てるとは

人を育てるとは、一つには従業員の業務スキルの向上です。あくまで仕事の成果を上げ、経営が分る人に成長してもらうことがその目的です。したがって、育成の手法はあくまで仕事が中心ということになります。つまり「オン・ザ・ジョブ ・トレーニング」です。

松下幸之助氏は、人を育てるには「適切な目標を与える。実際に現場で仕事をさせる。信頼して任せる。」ことが大事であると説いています。特に、経営者を育てるという視点からは、「社員は、主任・係長の仕事をせよ。主任・係長は課長の仕事をせよ。課長・部長は事業場長の仕事をせよ。」という企業風土が松下電器にはありました。前にも述べましたが、事業部制も経営者を育てる仕組みです。

二つ目の人を育てる意義は、業務スキルの向上だけでなく、人間としての教育も重要視するべきでしょう。つまり、「躾け」です。例えば、定食屋などで相席をしてくる場合、黙って、当たり前のようなような顔をして厚かましく座る人がいると思えば、一声「失礼します。」とか「よろしいですか。」などと声掛けして座る人がいます。もちろん、後者のような人が「躾けが身についた人」です。「躾けが身についた人」が多い会社は、お得意先の評判も良いに違いありません。

松下幸之助氏は、創業間もないころ従業員に対し、「松下電器は何をつくっている会社か。」と問われたなら、「松下電器は人をつくる会社です。併せて、電気製品も作っております。」と答えるよう話したということです。ここでいう「人をつくる」とは、創業間もないこともあって、従業員の基礎的な学力向上、手紙の書き方、お辞儀の仕方、言葉の使い方、礼儀作法など多岐にわたって行われました。つまり社会人としての常識を身に着けさせたのだ、と考えられます。いまでこそ無くなりましたが、1970年代までは、松下の社内でズボンのポケットに手を突っ込んで歩いていたものなら、その手をぴしゃりと上司に叩かれたものです。社会人としての常識に反する行為ということだったのでしょう。

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